新しい年度を迎え、4月も終わろうとしていますね。 それだけでなく、今年は平成から令和へ・・・
時代の移り変わりを感じ、平成の30年を振り返る機会が増えているように思います。
10年一昔と言いますが、あれ? 三昔まえの30年前は何をしていただろう? 考えてみたら、その頃はまだ「夢見る夢子」で。
頭の中はバレエのことで一杯でした・・・。
「ピルエットを安定したダブルで、クルックルッと回って、スゥーッとポーズしたいのに、日によってコントロールのしやすい日と、全くコントロールの利かない日が出てくる。毎日、同じようにトレーニングメニューをこなし、レッスンしているのになんでぇぇ??」
私のレッスンノートは合計15冊。レッスンノートというより、落書帳?日記?
初心を忘れないように、とっておいたこのノート達は、今も、迷い、悩んだ時のヒントになります。
が・・・。
もはや時が経ちすぎて、書いた張本人の私でさえ、何がメモりたかったのかわからない、謎の暗号ばかり・・・。
棒人間がたくさん並んでいたかと思うと、本気の写実バレリーナ画が出現。
さらに突然「STOP HERE ‼‼」「HOLD」「Nohhhh-----!」意味不明の英語が大きな文字で書かれていて。
謎すぎる・・・不思議すぎる・・・(-_-;)
幼かった自分の痛々しい過去に失笑します。
あの頃の自分が、大切にしていた事は「自分の気持ちに負けない」「人と比べて自分を卑下しない」とあり、どれだけ周りに流されていたのか、どれだけネガティブだったのか、よくわかります(笑)
バレエを始めたのが、4年生の終わりで、遅かったので、ね。
周りのお友達に付いていくのが必死、レッスンで出てくる不明だったPASを、何度も何度も繰り返し練習し、更に訳が分からないまま、舞台活動も始まってしまったので、振付を覚えるために、謎の、棒人間が並ぶノートが出現した訳です。
自分の踊りに納得がいかず、自信も持てず、切磋琢磨する事でしか、自分の安心できる時間が持てなかった、悲しい時代。
それでも、頑張った分だけ成果が得られることが判明した、輝かしい時代。
今となってはどちらがどうか、うろ覚えですが、ノートにはその時々の思いや、コンクール、オーディション、発表会、バレエ協会の舞台、連盟の舞台、バレエ団の舞台・・・様々な軌跡が記されています。
この、レッスンノート達は、新しいノートに変わる度、進化し、棒人間は登場回数を減らしていきましたが、今もジャズやコンテンポラリーの作品を創作するときに登場します✨
初期のころに比べて、顔には鼻が付き、どこに体が向いているのかわかるようになりました(笑)
30年経っても、棒人間。これからもよろしくね!と思います。
そしてそして。
先日、コンクールに初出場した4年生のSちゃんは、コンクールの練習時、毎回、同じ所で同じ注意をする感じになってしまっていたので、このレッスンノートの話を休憩中に話してみたら、次の日に「先生、こういう書き方でいいですか?」とノートを見せてくれて。
そこには「注意されないように気を付ける事」と、たくさん漢字が含まれる注意書き(私は未だ、ひらがなメインなのにーー)と、踊る棒人間が!!
やっぱり、棒人間なのね ♥
それにしても、漢字・・・たくさん使えて偉いねぇ・・・(恥ずかしや💧)
最後に、もう一つ、思い出話。
このレッスンノートの2冊目には貴重なご縁もありまして・・・。
当時、時々テレビで放映されていたバレエ番組を録画し、ビデオをコマ送り状態で一時停止しながら、美しいバレリーナのポーズにうっとりしながら写実することにはまっていました。
ビデオからヴァリエーションの振付を、棒人間で覚えたり・・・。
中でも、私がバレエを始めるきっかけになったバレエ作品「ジゼル」
このビデオテープが大のお気に入りでした。
でも、ビデオテープって酷使しすぎると切れてしまうのですよ、ご存知でしたか?
ある時、突然、切れてしまって。
見れなくなったショックのあまり、途方に暮れ、セロテープでつなげることを思いつき、再生する事、数回。
無残なまでにビデオデッキは壊れていきました・・・。
もちろん、両親には「普通に見ていただけなのに、壊れちゃったみたいなの・・・」ドキドキドキドキ・・・。
ほんとーにごめんなさーーーい(泣)
その当時、切れるまで見続けていたビデオの中のバレリーナさんは、ジゼルを踊る森下洋子先生で。
この2冊目のノートには、いろんなアングルの洋子先生が描かれているんです。
まさか、その10年後に松山バレエ団へ自分が所属させていただくことになるとは、夢にも思わず・・・。
私の人生は、本当に、綱渡り的? 様々なご縁に恵まれて、導かれていたように思う次第です。
一期一会を大切に・・・
また次回に。